徒然、草w

とりとめの有ることや無いこと

初日とは

今日はいわゆる、ニート初日だった。


朝起きて、朝食を食べ、洗顔、歯磨きを終えるとテレビを見たり、Youtubeで動画を見たり…




はて、ニートとはなんぞや?


自分は働く意思はある。では、ニートでは無い。


…そう。


これっぽっちも実感がわかない。


昨日は会社を辞めると言って朝に帰り、


明日は会社に行かなくてもよい。


では、今日は休みではないか!


そうではない。


虚無なのである。


勤めていた仕事を辞め、勿論、バイトもしていない。


かといって、ニート程堕落はしていない、働く意思もある。


では、自分は何なのか。


今日、自分がしたことを思い出せるだろうか。


気がつけば、昼になり、夕方になり、野球が始まり、野球が終わり、そうすると、もう寝る時間である。


次の日が仕事の日でもこんな日はあった。


しかしそこには、休みを無駄にしてしまった喪失感、
虚無感、焦燥感、色々な感情が渦をまいていた。


しかし、今はどうだろう。


凪である。


一陣の風も吹かず、波音一つ立っていない。


何も無いのである。


否、


何も、起こせなかったのである。


甘んじているわけでは無い。


焦っていないわけでも無い。


腑抜けてしまっている。といった表現が正しいか。


初日とはいえ、ここまで何も無かったかと自分でも驚くところもある。


本当の恐怖は、これが、明日も、明後日も、一週間後も、一ヶ月後も、一年後も、続いているのではないか、


そう考えると何が行動を起こさなくては。


大時化であろうが凪であろうが時は進み一日は終わる。


この凪に風を吹かし、波を起こすために、これからの人生という大時化の大海原を出立しよう。と、思う。