徒然、草w

とりとめの有ることや無いこと

現代非リア充学

さすがにあれだけではブログを続けてることにならないので、思いついたことを書いていきます。




自分はいわゆるオタクであり、非リアである。


女性にモテたことなどなく勿論、彼女もいたことが無い。


しかし、この世には女性を取っかえ引っ変えしている羨ま…けしからん輩もいる。


そんな人たちと自分のような人間の違いはなんなのか。


そんなもの挙げればキリがない。


自分磨きをしない、積極的に女性に話しかけない、趣味を最優先する、etc…


では、何故ここまで考えや価値観に隔たりがあるのか。


自分はここに欲求が関係していると考える。


自分が考えるに人間の欲求を三つに分けるとすれば食欲、物欲、性欲の三つに分けられる。


ここで言う性欲とは好きなものに愛情を注げたいという欲求のことである。


そして、この三つは三すくみの関係にある。


何か一つないし二つ欲が満たされている場合、残った欲を欲するという現象に陥る。


満腹の状態で欲しい物が手に入った場合、人間は残った性欲を求める、という風に私は考える。


性欲、食欲が満たされている状態では物欲が出てくる訳である。


この考えに基づくと、リア充と非リア充の違いが見えてくる。


ここでは、リア充とは彼女がいて、営みも行う関係であると仮定する。


ここまで書けば分かると思うが…




そう、リア充は常に性欲が満たされている状態にあるのである!!!


三大欲求の内一つが常に埋まっている状態なのである。


そして人間は一日に三度、食事をとる。


つまり、食欲が満たされている時間が大多数を占めることになる。


すると、残る欲は……物欲、である。


あの服が欲しい、靴が欲しい、アクセサリーが欲しい、etc…


勿論、趣味の道具などもあるだろう。


これについては後ほど書こう。


かたや、非リア充は逆に性欲が常に満たされていない状態にある。


リア充も同じく一日に三度、食事をとる。


食欲は満たされている。


となると、残りは物欲と性欲。


ここで、手動と自動に説明したい。


食欲などは食べなければ生きていけないので心情的に労力をあまり使わずに満たすことができる。


これを自動とする。


物欲は欲しい物があると店まで行き、買ってこなければならない。労力を使う。


これを手動とする。


彼女がいる状態というのは自動であると自分は考える。


確かに、彼女を作るまでは多大な労力を要したのだろうと思うが出来てしまえば一応安全である。


つまりリア充は三つの内二つが自動であり、残った労力を全て物欲に注ぐことが出来る、と考える。


リア充も食欲は自動、物欲は手動、では残りの性欲は?


手動である。


まず、自らオカズを見つけ周りに警戒を払い、などなど色々なことを考える。


これは、多大なる労力である。


残った労力を物欲にぶつける頃にはもう自分の趣味を埋めるだけで精一杯なのである。


では、後ほど書くと言ったリア充も趣味の道具などの物欲に労力を使うじゃないかという考えに対しては


リア充は三つの内二つが自動なので労力も余っているので趣味と自分磨きの両方に注ぐことが出来る、と考える。


一つ、言及しておきたいのが余った労力はこの三つの中だけで消費される訳では無い、ということである。


例えば、イキリオタクなどは彼女が出来て(本当かどうかは分からないが)性欲が満たされた結果、承認欲求の方に走ってしまっている。


リア充が性欲を満たしたいのなら彼女を作ろうと努力するのでは?と考える方もいるだろう。


全員が全員そう出ないと思うが非リア充の中では
性=SEXなのである。


脳みそ真ピンクである。


これが先行して外に行動に移してしまうと犯罪者の出来上がりである。


なので、内に内に秘めようとする結果出来るものも出来ない状態になる。


そうなると彼女なぞ夢のまた夢である。


すると、どんどんリア充との差が広がっていってしまっているのである。


これがリア充と非リア充の違いである。






ここまで長々と書き連ねたが何か書いてんのかいまいちよく分からんという意見が多数だろう。


結局こいつ努力してねぇだけじゃねえか。


全くその通りである。


すいませんでした。


殴り書きで拙い文章になりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。